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「君、花海棠の紅にあらず」(「鬓边不是海棠红」)原作日本語訳 52-1

52-1 (曹家での出来事)

程凤台は商細蕊の部屋に滑り込んだが、そこは暗くて寒く、彼はまだ帰っていなかった。コートを脱ぎ、いくつか炭をとってきて火をつけた。商細蕊は役者の中でも質素で地味な生活を送っていると評判だが実は質がいいものを使っている。真冬の寒さの中燃えている炭は鉛の塊のようにきらきらしていて炎も明るく少しの煙も出ずに長持ちする。さすが関外からの良品である。この費用だけで普通の家庭がひと冬食べていけるくらいの値段はする。程凤台は布団をめくり壁に沿って横になった。冷たく重い布団が体を包み込み、それは外よりも冷え冷えとしており体を震え上がらせた。あの子が帰ってきたらすぐに身ぐるみをはがし、布団の中に引きずり込んで温めてもらおう。そんなことを考えながら眠りに落ちしてしまった。

ベッドがきしんだので目が覚めた。程凤台が必死に目を開けるとまだ夜は開けておらず、部屋の中はほの暗く、炭火も消えかけていて、余計にその光が寒々としていた。商細蕊はうなだれてベッドの端に座り、何を考えているのかぼうっとしていた。程凤台は寝返りをうち彼の腰を抱くと、彼の服が少し湿ってひんやりとしており、端の方には霜が付いている。「なんでこんなに遅くまで?早く服を脱いで寝ないと」そう商細蕊をせかしたが彼は動こうとせず首を横に振り重々しくため息をついた。程凤台はこれは何かおかしいと思い電気をつけてみてみると、商細蕊が緊張のあまり全くの無表情で、ベッドサイドにもたれて悶々としている姿がみえた。「商老板、どうしたの?誰かに何か言われたの?」商細蕊はまたふうと鼻から息をしてしばらくため込んでやっと答えた「誰って、あなたの姐夫ですよ!」程凤台は唖然としたがすぐにその意味を理解し、商細蕊をしばらくの間見つめていたが、ベッドに仰向けになった。怪しげな口調で「芝居を禁じられて役人に助けを求めに行ったというわけだ。誰が助けてくれるのか?代償を払わないとできない事なのか?商老板、いつもそうやって自ら誰かと寝ているってわけか?」この業界で美しく優秀な人材である商細蕊が、早くからこの邪道に導かれたのは避けられない事だった。そして、彼は性行為が好きなわけではなく、早く結婚することも望まず、女優たちは市井の悪女が大半で、彼は避けるしかなかった。血気盛んな時期になると、優秀な役者は自然に金や権力のある男たちと付き合うようになる。この業界の風潮がそうであるように、誰もが大したことではないと思った。しかし二人が肌を合わせるようになってから、以前は当然だと思われたことも、今では喉に骨が刺さったように気が咎めるようになっていた。

蕊はこの言葉を聞いて怒り、ベッドに飛び乗って程台を乱暴に蹴り、首根っこを掴んで彼を引きずり起こし、自分の袖をまくり上げ腕にいくつか残るアザを見せながら言った。「これが自ら望んだことだと言える?私があなたの義兄と寝たいと思っているとでも?こんなに殴られても?」

台は商蕊の手首を握ってよくよく調べ、冬服を着ているのにこんな状態になるとはさぞひどく叩かれたに違いないと、驚きと憐れみを隠せなかった。彼にとっては現実に屈して妥協するよりも、自分の体を痛めつける方がいいと思ったのだろう。「今まで同意の上だったが今回は身を守ったってわけか!でも君は弱いから彼にはかなわないだろうね!」商細蕊は腕を引っ込め大声で宣言した「あなたがいなかった時はそうしていたさ!今はあなたがいる、僕は嫌だ、逃げる、死ぬほど殴られても逃げる!あなたには関係ない!」

台は彼をしげしげと見つめ、口の端に笑みを浮かべていた。商蕊のような男の子は、愛情を表現するときも頑なに議論をしているようで、まるで口喧嘩をしているようになる。程台は彼の後頭部をささえ熱い口づけをした後、素早く起き上がり一枚一枚服を着はじめた。商蕊はなぜ彼が急に興奮したのかわからずに混乱した。「どうしたの?こんなに早くどこに行くつもりなの?」「どこに行くかって?」程凤台はコートを着、腰をかがめ鏡で襟を整え「義兄を撃つために出かけるんだ!」と言うやいなやドアから出ていき、商細蕊は彼を呼び止めることができなかった。

外はもう明るくなっていた。程台は五毛を使って人力車を呼び、家に老葛を呼びに行かせた。しばらくすると老葛が車でやってきた。程台は車のドアをバタンと閉め、「曹公へ!」と言った。

老葛は、普段賭博か麻雀か女遊びをする彼しか見ておらず、まじめな仕事ぶりをしばらく見ていなかった。程台が曹司令官に会うたび正当な仕事をしていると思い込んでいたので、精神を集中させて迅速に答え、通常よりも速く車を運転した。前門大街で方向を変え、豊台に向かって直進した。

台は王府の邸宅に住んでおり、曹司令は立派な四階建ての別荘に住んでいる。護衛が彫刻が施された鉄の大きな門を開け、程台は2人の警備員に話しかけた。「門を閉めないで。すぐに出るから。」車を正面の門に停め車から降りた後、老葛に向かって言った。「ここで待っていて、どこにも行かないで!」「仰せの通り、ここでお待ちしています」「車内でタバコを吸ったり雑談したりしないで、車の中にちゃんといてくれよ!」老葛は笑って、今日の程台はなぜか口が悪いなと思ったが「わかりました」と言った。

台は再び襟を正し喉を軽く整えてから中に入った。この時間帯、曹家は朝食をとっており、曹司令官が先頭に座り、右手には夫人の程美心、左手には三人姉弟が座っていた。かわいそうに、過去上海で夜の生活に慣れてしまった程美心も、今では早起きして食卓の世話をしなければならない。テーブルにはパン、バター、ジャム、牛乳が置かれていて彼女は自分の生活習慣を保ち、三人の子供たちは恐らくご機嫌を取るために彼女の食と同じものにしていた。唯一、曹司令官の前には酸っぱい刀削麺が大きな皿に盛られ、蒜と一緒に置かれていた。

台が来たことは早くから報告されており、三人の子供たちは立ち上がって丁寧に彼らのおじさんに挨拶をした。曹司令官は顔をあげず程美心の隣の空いた席を指差して、「座れ!もう一杯の麺を削ってもらうから!この酢は足りないぞ!」程美心は急いで酢を取り程台に向かって笑いかけた。「早起きなんて珍しいわね!何か急な用?」程台は「急用なんてあるわけがないよ。ただ義兄さんとしゃべりたかっただけさ」と答えた。

曹司令官は麺をすするも答えはなく、機嫌が良くないようで怒っている様子すらある。普段ならこの義弟が訪ねてきたら、言葉巧みに話題を振りながらいろいろなことを話していたが、今日は違うようだ。程台は温かい牛乳を飲みながら向かいに座る曹三小姐に気づいた。彼女は1718歳くらいの若い女性で、洋装で短いスカートをはき、レースやリボンで飾ったポニーテールをしている。この服装は明らかに程美心の手によるものだ。彼女はピンクと白の卵型の顔をしており、目鼻立ちはそれほど美しくないが若々しい雰囲気が漂っている。そして程台が彼女を見ているのに気づくと、顔を赤らめ水を飲みながらコップで顔の半分を隠した。

台は笑ってしまう、この女の子の雰囲気は商蕊と似ている。彼はすべての女性が商蕊と生き別れたた兄弟姉妹のように思えてしまう。例えば青、見た目は美人でも話し方を聞くと商蕊とはまるでお母子だ。

曹司令官は食事を終えて歯を磨くために階段を上がり、程台はその後ろについていった。程美心は2人が書斎に入ってドアを閉めた後、そっとドアの外で耳を澄ませた。程台が早起きするなんて何かのっぴきならない事情があるはずだった。程美心は夫の家で成功する秘訣は曹家の門をくぐればなんでもしっているということだと考えている。

曹司令官はいつものように引き出しから銀メッキの箱に入った葉巻を取り出し、それを彼に投げ渡した。程台はそれを受け取ったが吸わなかった。彼はソファに座り決心したように「義兄さん、私と商蕊は付き合っています」と口を開いた。ドアの外で聞いていた程美心は腰を伸ばしてひそかに悪態をつき引き続き壁に張り付いて耳をそばだてた。曹司令官は目を見開いて愕然としたがその後笑い出してタバコに火をつけ「そうか!お前はあの種の、英語を話す巨乳の西洋女が好きかと思っていたのに、それは意外だ!あの役者は辛口だが味がある!」と言った。そう話して昨夜の失敗を思い出しながら、彼は隠した痛みを感じながら顔を触った。「あのろくでなしもお目が高いな!」しかし、程台は冗談を言うような表情ではなかった。彼は銀色のシガレットケースをつかんで指の間で1回転させながら重々しく言った。「兄さん、信じられないかもしれないが私は商蕊に本気なんです。」曹司令は葉巻を吸って言った。「彼は実に魅力的だ!ベッド以外では十分熱く、ベッドの上では実にいやらしい!」この言葉は程台の耳に突き刺さった。立ち上がって黙り込み、眉をひそめながら言った。「兄さん、どう話せばわかってくれるのですか。私は商蕊に恋をしました。彼に対して不尊な行動を取る人を見たくありません。さもなくば……」程台はため息をつき言葉が続かなかった。

隠れて聞いていた程美心は大変驚き開いた口がふさがらなかった。程台の話ぶりは彼女が子供の頃から聞いているので、改めて証明するまでもなく間違いなく真実だと確信した。しばらくの沈黙の後、部屋の中で喧嘩が勃発した。曹司令官は昨晩商蕊と大喧嘩をした。商蕊の武生の技量は全く衰えを知らず、そのスキルは彼の部下たちよりも上をいっていて、殴る蹴るの騒ぎでバルコニーから飛び降りて彼に逃げられ、怒りのはけ口が見つからなかった。まさかこんな朝早くに、程台がまるで辱めを受けた女の夫の様な態度で自分に話し合いに来るとは彼は何かの司令官様になったのか?欲にまみれた大虎のような存在になったのか?

曹司令官は非常に屈辱的な思いで怒りをあらわにした。特に彼は程台を良き後輩として扱っていたこともあり、一人の武道家によって引き起こされたあらゆる怒りと屈辱が一気に押し寄せ、銃を取り出し程台に向け一発撃った。「くそっ!お前にそんなことを言われる筋合いはない!私が娼男と寝たって自由だろ!」

曹司令が撃った弾は程台の手に持っていたシガレットケースを貫通し、程台の手が震え心も震えた。驚いて逃げ出した程台はドアの外で程美心にぶつかってしまった。程美心が驚いて叫ぶ中、程台は階段を駆け下りていった。曹司令官が怒鳴って追いかけ程台の走っていく方向に向けて2発撃った。1発は壁に命中し、もう1発はギリシャ風の石膏像を粉砕した。程美心は曹司令官の腕をつかみ左右に揺さぶり泣きながら言った「司令官!あなたを怒らせたからといって彼を殺したりしないで!私にとって唯一の弟なのよ!私をかわいそうと思ってちょうだい」

実際曹司令官の射撃の腕前からしたら真剣に逃げても無駄だろうし、彼が打ちたくないのならそのまま立ちどまっていても問題はない。彼はろくでなしを怖がらせたかっただけだ。しかし、程美心が揺さぶった拍子に手の中の拳銃が暴発し、吊り下げられたガラス製のシャンデリアを撃ち抜いた。シャンデリアはキラキラと輝きながら粉々になりガラス片が程台に降り注いだ。周囲からは驚きの声が上がった。曹家の三小姐と一番下の男の子はまだ食事をしていたが、彼らは曹家で生活していると、生きてる人が来ては死んで出て行く姿や頭から血を流す穴が開いた人を見ることにも慣れていた。しかし父親がおじさんを銃で脅すのを初めて見たため非常に驚いた。弟を連れて傍らに隠れ、ただ茫然と程台が車に乗って一瞬で走り去ったのを見ていた。曹司令官はもう銃を乱射することはやめ、二階の手すりにもたれて銃口で程台の逃げる背中を指さして笑いながら「おまえは愛人に養われた弱虫だ!逃げ足だけは速いな!盗賊が来たら兎みたいに走って逃げてるんだろうな!道理でおまえの仕事では俺のとこよりも多く兵士を雇っているわけだ!」と言い捨て書斎に戻り、瞬時に怒りをなくしたかのようだった。程美心はもう危険がないとみてひと安心し、涙をぬぐった後故郷の言葉でつぶやいた。「あの子ったら!よくもまあ商細蕊とつるむとは、昔世話してやったことをみんな忘れちゃったわね…ああ憎らしい、一発で撃ち殺してやりたいわ!」そして使用人たちに後片付けを指示した。

台の車は曹家の門を出て追手がいないかを振り返りながら走った。老葛は銃声を聞き、程台が生き残って逃げ出してきて「早く逃げろ!」と叫んでいるのを見た。おそらく何が起こったのかは想像できたが、老葛は二爷は先見の明があると思った。虎のお尻を触る前に車を門の前に停めておくようにと指示されたからだ。さもなくば本当に銃撃されてしまっただろう。その後道中で程台が後部座席でまるで猿のようにズボンのボタンをはずし布をはたき、襟元に落ちたガラスの破片を振り落としているのを見た。

こんな恐ろしい体験をした後だ、老葛は彼は家に帰り着替えてお茶を一杯飲み、范二と相談するつもりだろうと思っていた。しかし思いがけず車が家の前まで来ると程台が手を振って前に進むよう指示し、再び商蕊に会いに行った。

小来は庭で日向ぼっこをして野菜を摘んでいた。程台を見ると白目をむいて「日に何度も行ったり来たりするわけ?まるで自分の家みたいじゃないの」と思った。程台はガラスの破片に耐え切れず、小来と親しく話す気分ではなく、止まることなくすぐに商細蕊の家に入っていった。

*すべてWEB版のみ。文字色は見にくいので変更してありません。

119.pngしろうとの趣味の簡略版の翻訳です。誤訳ご了承のほどを。時々訂正します。無断転載禁止


*・・・大修羅場です。お互い拳銃を持っていると物騒ですね。今回は曹家の様子がよくわかるシーンでした。司令官だけ、にんにくたっぷり刀削麺を朝から食べてる!イメージ通りです106.png。曹司令官が住むという「豊台」。今の場所で言うと盧溝橋に近いところで、天壇公園の西方向。北羅鼓巷から商宅についた老葛が前門大街で方向を変えて直進、となると辻褄が合いそう。商老板が夜中に走って逃げかえったという割には距離があるような気がしますが、そこは必死だし若いし体力あるし、ってことですね。


# by wenniao | 2023-05-02 21:18 | 「君、花海棠の紅にあらず」原作を日本語訳 | Comments(0)

「君、花海棠の紅にあらず」(「鬓边不是海棠红」)原作日本語訳 51-2

51-2 開箱

更に次に控えるは反串(俳優が余興として専門外の役を演ずる)劇《龙凤呈祥》。商細蕊は女形で有名なので彼が男の姿のまま歌うのはつまりが反串に属する。彼は往々にしてなんでもそつなくできるので実は反串というものは存在しない。水运楼の数人の女優が玄周瑜などに扮し,青は劉備,商蕊は趙雲を演じた。この場面では皆順番に演じ歌い、特に観客をあっと言わせるような場面はない。女優たちが慣れない野太い声で歌うのでセリフ通りにしていればうまくいき、商細蕊はあえて戯曲をいじることはしなかった。

舞台で劉備が甘露寺に入ると、間もなく革靴を履いた2人の洋装の人物が曹司令官に挨拶にやってきた。曹司令官は本来そっけないが、そのうちの一人をみると、立ち上がるまでいかないものの背筋をまっすぐにしていつでも挨拶を返せるよう準備をしているようだった。程凤台と范涟は状況をすぐに察知できる賢い人間であり、すぐに席を譲ろうとした。その二人の官人はすでに目の前に立っている。一人は眉が濃く大きな目をしており、もう一人は眼鏡をかけて温和そうな人物だ。范涟は、一人は孫という南京から来た高官だとわかり、眼鏡をかけた方は見たことがなかった。曹司令官は二人の小舅子にとどまるように言った。外部の人間がいることで、孫氏が彼に敏感な問題を投げかけないようにとの配慮だった。孫氏はにこやかにまずお互いに挨拶を交わした後笑って言った「范さんと程さんがここにおられようとは知りませんでした。皆さん親戚揃って観劇を楽しんでいらっしゃるところ、この孫がお邪魔致しました」范涟は曹司令官の顔色をうかがったが、彼は冷淡な顔つきで特に追う様子は見られない。しかし、いやいやそれではと椅子を二つ持ってこさせ二人に座るように促した。

曹司令官が真ん中で右側に程凤台、范涟と彼女、左側に孫氏と眼鏡の韓氏。程凤台は范涟に小声で聞いた「この韓さんという方は…」范涟も実は考えていた。孫氏が紹介するには彼は韓という苗字で、職業やフルネームすらわからないし、謎めいていて何かあるに違いない。范家には政治家の子弟が何人かいるので、范涟は政治や政治家には程凤台より詳しい。「簡単な人ではないと思う。余計なことは言わないで、僕らはただひたすら芝居を見ているとしよう」そういうと彼女にお茶を一杯入れてお互いに優しく見つめ合った。

孫氏は韓氏に曹司令官の数々の偉業や功績をざっと紹介した。孫氏の語りによって墓を掘り起こして財を成す盗賊に頼っていたものが、反暴力的な国の守護者となった。韓氏は彼の止まらない話を十分に落ち着いて聞いたのち、笑みをたたえてうなずき「曹司令官のご功名は轟いており、もうすでに存じておりました。今またここにあらためて感服いたします!」曹司令官はうなずいたが相変わらず冷淡な様子である。孫氏は韓氏に当時の東北旗の交換(陣営交代)について話し、曹司令官がどのように中央政府に従うのかを知っていると話した。曹司令官は特に反発しなかった、なぜなら陣営交代は事実だからである。韓氏は眼鏡を支えながら微笑んだ「曹司令官は『勇将の下に弱卒なし』、きょう商氏の芝居を見るために18万人もの兵が外を護衛している。これは高官であるからこそのかえられない福ですな!」総司令官の口角がわずかながら上がりにやりとした。18万人は大げさかもしれないが、依然曹家が掌握しており、これは曹司令官にとっては大いに得意げな事である。

孫氏は目を輝かせ韓氏と曹司令官を何度も交互に見回し「曹大公子は父親のような態度でお国のために戦い暴動を鎮圧して領土を守りました。委員長は大変安堵していますよ」

程凤台が察するに彼らの発する言葉ひとつひとつにいくつもの戦術が含まれている。孫韓二人の関係性は敵のような友のような、関係性も微妙だと感じた。范涟は役人と癒着する商人であるので自分の家業が最も大事であり、今までその本分をないがしろにしたことはない。彼は一心不乱に舞台を見ているようで心は舞台にあらず、この曹孫韓三人の暗戦のごとき話に耳を傾けていた。

舞台で孫尚香に扮するのは一人の角儿で、歳は五十歳前後、丸みを帯びた体で腕もたくましく体格がいい。彼は大きな顔つきでおもしろおかしく「去年流したせつない涙が今日もまだ口元に残っているわ」という。全身真っ赤な衣装で化粧をして女性のしぐさをし、格別ぞっとする。彼が舞台に出ると観客は笑わずにはいられなかった。俞青の劉備と一緒に舞台に立つと彼女がとても繊細で弱弱しく見え、まるで髭の生えた小娘のように見えるからだ。商細蕊の趙雲もこの男らしい気概に押されてしまうかもと心配して思わず胸を張った。

芝居も大詰めになったが、孫氏はまだ中央政府と曹司令官の親密さを証明するために話を続けていた。孫尚香と劉備は手を携え洞房(夫婦の寝室)に入っていった。くまどりの孫尚香はこの時急に細い声を絞り出すのをやめ、劉備に向かい本来の野太い大声で声をかけた「愛しい人よ、俺についてくるがよい、ワッハハハ!」これには舞台上の役者も観客も驚いた!孫氏もびっくりして、話もすべて飛んでしまった。曹司令官は可笑しくて彼につられてワハハと笑い出し、大声で商老板を呼んで来いといった。韓氏も優雅に笑っていた。

商細蕊はすぐに化粧を落とし、長衣のジャケットに着替え、席を通り過ぎる時に人に顔をわからないようにマフラーで顔を覆い、腰をかがめて曹司令官の元へやってきた。今晩何人かの重要な役人がここにいるうち《潜龙记》の舞台禁止の件を訴えるのに、曹司令官が彼を招いたのは絶好のタイミングだ。曹司令官の爆発する癇癪をもってすれば、数人の文官達も彼を恐れているのでこの一件はきっとすぐに解決する。

商細蕊が来ると程凤台の顔つきが全く変わり、格別ににやにやとふざけた表情になった。商細蕊は彼をちらっと見たがその後全く無視した。孫韓両名に挨拶をし、椅子を追加されるのを待って、厳かにそれに座り、誰かが質問したらそれに答え、すぐに本題に入ることはなかった。商細蕊との話のやり取りから、意外に韓氏は本物の芝居好きだとわかった。彼は広州での中華民国十六周年記念式典で商細蕊の歌を聞いたことがあると話し、それ以来彼とは顔見知りと言える。皆笑みを浮かべて聞いていたが、ただ一人范涟だけは顔色が一変し、目線が宙を舞い意味ありげに程凤台を見た。程凤台は彼が何を言いたいのかわからなかった。

「あの時以来私は旦を歌うようになったんです。あなたがご覧になったのは私の最後の武生です!」商細蕊は笑って言った「あの頃の私はまだまだ歌を聞くだけで身のこなしなど全くできませんでした」韓氏は言う「商老板だから言いますが、あなたの武生が大好きだ。当時あなたは歳は若かったが、功夫の腕前はすでに素晴らしかった。それから旦のナンバーワンは商細蕊だと聞くようになって、よくよく考えてみましたよ、頭に浮かんだのはあの生を歌う商細儿(shang xier)」と呼ばれていたあなたしか知らないから。実際やはりそうでしたね」

程凤台は商細蕊の本来の名前を聞いておかしく思った。儿(xian er xian er)、間の抜けた子供っぽい感じ、むしろ商細の方が彼の本来の姿にぴったりくるかもと思う。商細蕊は昔の名前が恥ずかしいと思っている。韓氏が口に出した名は赤ん坊の呼び名のようで、ちっともまともではないので使うにおよばなかった。彼の義父の学問が浅いと文句を言い、息子に芸名をつけるのに10年もかかったのだ。商細蕊はいった「旦を歌って名を馳せたとしても、年老いて喉が荒れたらまた生に戻らなくては。昔の技術は決してなくなりはしません」韓氏は慇懃に尋ねた「しかし私が北平に来る前、最近商老板が生を歌ったと聞きましたよ。《潜龙记》でしょう?私は来るのが遅かった。機会があったら是非商郎はきっと私の耳を満足させてくれるでしょう」商細蕊は大事な話のきっかけをつかんだとばかり、唇をすぼめて微笑み「おそらく歌えなくなるでしょう」といった。

范涟と曹司令官は期せずして振り返った。「新聞には、この作品は禁止されるかもしれないと書かれました」范涟は驚いて声をあげた。総司令官は鼻を鳴らし言った「どのろくでなしが禁止するなどといったんだ!俺だってまだ見てないぞ」韓氏はしばらく黙っていたが笑いながら「これについては、あなたは適切な人に会いましたよ。この孫さんはとても力のあるお方だ。近年昆曲が京劇にとってかわられ、むしろ外国の新劇が日に日に人気になり若い人の心をつかみどんどん台頭してきた。この様子をみると、客が主導権をえて京劇すら見捨てられ、みな歌が歌えなくなってしまう。」そして孫氏の方を向きながら「あなた、どうです、昆曲と京劇は私達中国人のお楽しみだ。自分達で首を絞めて部外者にうまい汁を吸わせることなんてできますかね?」曹司令官はお茶をすすり何も言わなかった。范涟の視線はあちこち彷徨っている。程凤台はこれに乗じて商細蕊と視線を絡ませた。彼らの政治の話には少しも興味がなかったのだ。孫氏はハッとした表情で「あなたと私は同じ考えをもっている!兄弟間の紛争はここまで。団結して協力するのが上策です。今ここで共に考えればこれからはやりやすいでしょう。どうかご安心を!」この話で曹司令官は表情がさだまらなくなり范涟は何かを考えているようだ。商細蕊はこの芝居の二者はどちらも大切なので思わず口を挟んだ「実は昆曲が京劇を廃したわけではありません。どちらにもいいところがあるのです。昆曲は少し時代遅れなので新しい芝居が少ないのです」

二人の男が何か事を借りて話をしたように、商細蕊もそれに乗じて別の本題に入った。あまり聞いていなかった程凤台でさえ、この二人の男の話と商細蕊の話とは根っこの部分が違う話だと分かった。テーブルに座っていた人は皆くすくすと笑い出し、商細蕊も顔が真っ赤になって言った「では孫さんお願いしますよ!私は舞台挨拶に行かねばなりませんので。皆さんごゆっくり、失礼します」席を離れる時、商細蕊の顔はまだ赤らんでいた。彼は本当に人と面と向かって交際するのが苦手で、それは舞台で歌うよりも難しいと感じていた。

芝居が終わり、孫韓両名は先に帰った。曹司令官は舞台をしみじみと見てから副官に何かを言いつけ身をひるがえして去って行った。程凤台は恒例になっている楽屋見舞いへいこうとして范涟に呼び止められ、神妙に大事な話があると言われた。程凤台はせっかちだが范涟は今話したくて仕方がない。しかしいらつくことに彼はすぐに話をしなかった。まず彼女を家に送らねばならなかったのだ。范涟は運転手に彼女を家に送るよう指示し、寒々しく立ってタバコを吸っている程凤台に話しかけた。

「姐夫、さっきの話、どう思った?」「上層部の内部が二派に分かれて争ってるんじゃない?孫という人物は曹司令官が味方だと思って韓と肩を並べていた。韓は孫よりも事情通で、その場で暴露した。そして孫と韓の両名は手を組みたがっている。」話が回りくどすぎて自分でも可笑しくなる。「めちゃくちゃだね、軍統中統。俺らはどうかかわればいいのか?」范涟は真面目に彼を見た「あなたは韓さんが派閥闘争だと思う?僕は違うね!僕が思うに彼はあっち側だ」程凤台は煙草を吹き出し目を細めて彼を見た「あっち側?日本人?中国語があんなに流暢なのに、漢奸?」范涟はその愚かさを罵り「何言ってんのさ、北の方だよ!叩かれまくってあちこち散り散りになってる!すぐには消えやしないさ」

程凤台は驚いて目を見開きでたらめだと思った「気が狂ったか?あっち側の人間がわざわざ虎に近づいて皮をはごうとするかな?」「僕の単なる憶測なんだけどね。民国十六年の時彼は広州にいた、とあなたも聞いただろう?それにあの口ぶり、あの雰囲気、団結合作だの…。僕もちゃんと言いたいけどまだなんともいえないんだ。まあとにかく僕が千人とはいわないまでも八百ほどの役人に会ってきて、彼はあっち側ではなく、間違いなくこっち側でもなく、口ぶりがなんか違うんだな。機会を見つけて曹司令官に探りを入れてみてよ」

程凤台はうなずいた「わかったよ、俺は君の感覚を信じよう。俺たち今晩は悪党に通じたな。君はこのことだけで俺にこんな時間をとらせたのか?」范涟は首を横に振り振り彼を非難した「あなたたち南の人間は女どもの様にちまちま細かい事ばかり考える。全く広い見識がないんだから!」程凤台は笑い「君の見識が広いのか、俺が見てやるよ」 「頭を使ってないのは明らかでしょ。もしあの二人があなたを追い出したら、そこで再びビジネスができると思うの?」

程凤台から笑みが消え、煙草を吸って黙り込んだ。范涟がどの仕事を指しているのかわかっている。それはお茶やシルクであろうはずはなく、人の目をくらましてするものである。

当時16歳だった程凤台は范家の名を借りてその商品を購入した。二十代前半に勢力を巻き返し、曹司令官の20万人の兵に供給し他に連帯も装備していた。この乱世の中国で、どんな商売がすぐに利益をもたらすか?アヘンを除きそれは武器ビジネスである。程家の叔父は早くにイギリスへ留学して根回しをし、甥っ子に密輸の橋渡しをし、現在市場にあるイギリス製の武器は半分近くが程の名のもとにある。「最初は政府の怒りを買いたくないから、敢えて大量には売ろうと思わなかった。今夜正しく判断すれば、財路がまた開けるんでは?」程凤台は笑い出した「財路?お前は知らないだろう、あっちはどれだけ貧しいかしれないよ!俺は彼らとつきあいがある。『小米加步』って聞いたことがあるだろう?ある場所じゃ軍隊は一日一食さえ食べるのも難しいらしい。北方の冬はこんなに寒いのに、軍曹の破れた綿入れに綿はなく、体を覆う毛皮さえない。なのに人はなかなかやり手で値切るのがうまくて半額まで値切った。2箱分の商品を売るならエンジンオイルと火薬を使ってしまい、儲かるどころか損をしないだけでもありがたいくらいだ。同じ抗日のためなら、うまい汁は他人に吸わせるもんじゃないだろう?范家を武装させたかい?」

程凤台はあちらに文句を言っているがそれほど恨んでいる様子ではなく、まるで掘り出し物に対する売り手の不満だけの様子だ。范涟は笑って「それなら決まりだ、あなたが范家を武装すれば価格は安くなる。結局は僕の火薬とエンジンオイルも使うことになるでしょ?」程凤台は足をあげて彼を蹴ろうとしたがうまくかわされ、瞬く間に范涟は自分の車に乗り込み車の中からバイバイ(撒有那垃(さよなら)と言い去って行った。

程凤台が時計を見るとすでに夜の1時半を過ぎていて、おそらく商細蕊はもう家に帰ってしまっただろう。今夜は范涟にひっかきまわされた。車に乗り込み老葛に商宅の裏庭へつけるように言い、到着すると手を振って「帰っていいよ、明日のお昼に迎えに来てくれ!」そう言うと慣れた様子で水桶に軽々と脚をかけ塀を越えて中に入っていった。

老葛は唖然とし、道を通る人に見られるのではと車の中からきょろきょろとあたりを見渡した。二爷が商老板と何をしたいのかはわからないが、なんでこんな強姦魔みたいなマネをしているんだろう?


*緑の部分はWEB版のみ

119.pngしろうとの趣味の簡略版の翻訳です。誤訳ご了承のほどを。時々訂正します。無断転載禁止


*二爷~すっかり裏庭からの侵入が板についてきた()包厢にいる人たちの思惑がそれぞれ…。商老板はとにかく《潜龙记》禁止の撤廃が第一の目標。大好きな二爷すら目に入っていない様子。

*二爷がなんであんなお金持ちなのか。確かにまともな商いばかりではないのはドラマでも知っていましたが、武器ビジネスかあ。しかも程家から引き継いでいたらしい?密輸ルートはあったのに家が没落したのでイギリスから買うお金がなかったということなのか…。(で政略結婚?)きな臭い話が続きそうです。

*この時代の前の歴史も知らなくてはいけなくなりました。韓氏のいうキーワード「民国16年(1927年)」。この前後は歴史的事件が多いんですね。しかもかなり複雑!

1925年 孫文死去 その後は蒋介石が受け継ぐ。広州に本格的な政府(広州国民政府)を樹立。

1926年 北伐を開始(蒋介石率いる国民革命軍が、北方の軍閥を攻め滅ぼして中国を統一する動き)

1927年(民国16年)には上海クーデター

亡き孫文は革命の実現のために共産党とも第一次国共合作によって手を結びますが、蒋介石は実は反共産党。上海の経済を支配する浙江財閥は、蒋介石と手を組みます。そして、蒋介石は共産党員や労働者を殺害。これにより国民党と共産党は再び対立関係に入ります(国共分裂)。そして南京国民政府を作ってしまいます。

*曹司令官がかかわった「東北旗の交換」とは、192812月満州のすべての北洋政府の五色旗を国民政府の旗に置き換えた、という出来事を指すようです(名目上北伐は終了、国民政府のもとに統一された)。

*「民国16年に広州にいた」とうことは韓氏は国民政府側の人物とははっきり言えないということを指す?「南京から来た」という孫氏は国民政府側?范のいう「北の散りぢりになった人達」とは北伐による北方の軍閥の残党のこと?(曹司令官は中央政府と密接だということは南京の国民政府側ですよね)勉強しなおさないと(^^;)


# by wenniao | 2023-04-07 15:07 | 「君、花海棠の紅にあらず」原作を日本語訳 | Comments(2)

「君、花海棠の紅にあらず」(「鬓边不是海棠红」)原作日本語訳 51-1

51-1 開箱

程凤台は楽屋でお茶を飲み新聞を読みおしゃべりをしたりして十分にくつろぎ、やっとゆったりと商細蕊の小さな手をとり座席へと向かっていった。范涟は例の彼女を連れて彼を焦れて待っていた。廊下で彼女と談笑しながらも四方を見て人を探していて、そのうちやっと程凤台が回りを見渡しながら悠々とやってくる姿を見つけた。程凤台は紳士的に彼らに挨拶をした「お二人ともお待たせしましたね。席がなかなか手に入らなくて。先に座りましょうか」微笑みながらその娘の顔をみつめうなずいたが、心の中では范涟と彼女はすぐにも別れるだろうと踏んだ。彼女は純情そうな幼顔で、とても范家の女たちの責務をやっていけそうもない。おまけにお育ちがよさそうで、ベッドでのお楽しみも期待できない。ただ恋愛を語るだけだ。彼と范涟はずっと女子学生が好きである。世間知らずの何も知らないお嬢様は、なぜかろくでなしの男にひかれ、彼女らはその魅力にひきつけられてしまう。多くの女性との交際経験があり、付き合い方が上手でないと彼女たちは気に入らない。程凤台は見るからに真面目そうには見えず、その瞳は情熱的に誰かを誘惑したいという危険性をはらんでいて、それは范涟よりもはるかに悪い。その娘はぽっと紅くなり手で頬にかかる髪をかき上げて目線を宙に向けた。范涟は自分の餌食をとられるものかとキッとにらみつけ、程凤台は無邪気に見つめ返して彼らの前を歩きそれ以降は彼女を挑発することはなかった。

二階の包はこの時すでに高官たちで満席だった。中国の商人と官界との関係は一貫して密で、二人は数人の役人と芝居が始まるまで熱心にあいさつを交わしたが、曹司令官はまだやってこない。彼はいつももったいぶっていて、この時局こんなに乱れているが彼はうまく穏便に事を成し遂げており、時間を守る道理など持ち合わせていない。彼が来ない事は二人にとっては好都合だった。

二つの短い演目が終わり、いよいよ商細蕊と 俞青の《大登殿》が始まった。商細蕊は劇中の三つの主要な人物をそれぞれ別々に演じたことがある。今日は「金殿冊封」の場面のみ。新年初めての舞台、新鮮さというよりも賑やかな勢いを狙っているからだ。大変縁起のいい演目で、セットから役者の衣装までめでたい色彩で“两全其美,苦尽甘来”(みんなうまくいく、苦労の後に楽あり)の意味もふさわしく、観客もきき慣れていてリズムに合わせて盛り上がる。

曹司令官はこの時、 俞青演じる王宝の登場とともに姿を現した。舞台では見目麗しいしなやかな女性が王に会いに行くところで、舞台下で観衆はそれを注意深く聞いていた。程凤台は舞台上と舞台外のシーンを両方眺めていた。一方柔らかく一方剛健で、また一方しなやかで一方勇ましい、全く奇妙な対比だと思った。

数年前の軍閥割拠の時代だったら、曹司令官が劇場にやってきたとき副司令官が「司令官のおなり!」と掛け声をかけ、芝居が始まっていようとなんであろうと、すべての観客は慇懃に迎えなくてはならず、舞台上でも音楽を止めなくてはならなかった。前朝の王族でさえこんな扱いはない。曹司令官は北平に来て以来控えめになったが、座席の何人かは自発的に立ち上がり挨拶をした。楽団員の年配者数人は習慣で演奏を止めた。黎白は弦を弾くのをやめ、振り返って他のメンバーを非難し、彼らも慌てて付随した。この時、薛平を演じていた役者は、曹司令官の歓迎のために演じることをやめた方がいいかと躊躇しているようだった。俞青と商細蕊は旧知の如く意気投合、自然と同じ気質なので、舞台に上がったらすべて芝居重視である。眼光鋭く薛平を見つめ、薛平も心を落ち着かせて龍の椅子に腰を落ち着かせた。

曹司令官は馬用のブーツを床に響かせてバタバタと威勢よく二階へ上がってきた。包の役人たちはあるものは彼に笑顔で会釈をし、あるものはわざと気づかぬふりをした。ここはまさに敏感な時期であり、誰が彼寄りなのか、誰が反感を持っているのか、曹司令官は何も言わずに心の中でカウントをした。他人はいくらでもかしこまることができたが、程凤台と范涟は彼に対して熱意を示すしかなかった。曹司令官は歳をとってからは賢くて話し上手な後輩たちと交流するのが最も好きだからである。范涟のような優秀な青年を拾い上げ、嬉しそうに声を大にして“小舅子的小舅子”(義弟の義弟)と呼び、背中や腕をぱんぱんと叩き、その甘ったれた娘など目にも止まらなかった。彼女は虎のような勢いの強い将軍がやってきたので衝撃を受けたが、おとなしく彼が自分に気が付かないようにと少し遠くに椅子を動かし座っているしかなかった。程凤台は彼女にお茶菓子の皿を動かすのを手伝い、彼女はすぐに頬を赤らめ、程凤台も彼女に笑いかけた。曹司令官はすぐにそんな彼を目の端に捕らえ程凤台の手をバシッと叩き「俺がまだ来ていないというのにお前は堂々と先に芝居を見ているんだな!食べて飲んで!しかも娘に色目もつかってるとはな!」范涟は怒った眼で見つめ返した。程凤台は笑って「姐夫ったら来て早々冗談を言わないでくださいよ。ささ、芝居を見て芝居を!」

この時商細蕊が演じる代公主は上殿すると宣言していた。彼の足元は植木鉢底の靴を履いていて、頭には翠の旗飾りをつけている。男性は本来背が高く肩幅も広いので、彼がこのような扮装をすると王宝が一瞬小さくてかわいく、繊細で弱弱しくなり、この後妃と同じ舞台の劇で一種の面白味を感じさせる。漫才でも一人は背が高く一人は低い、太った人と痩せた人のコンビなどとくらべても、舞台に立っただけで観客はすぐに喜劇感を感じることができる。

予想通りどっと笑いが怒り、その中にはハオ!の掛け声も交じり、さすが初日はいつもとは違う賑わいだ。商老板!恭喜发财!と叫ぶもの、ある人は立ち上がり「商老板、お正月を迎え祝福あれ!」と叫び、また一部の男性ファンは商細蕊の武打が特別好きなので、彼の身のこなしに注目をしている。商細蕊は自分が太ったのか痩せたのか全く気にも留めていないが彼らはつぶさに観察をしていた。いつもの商細蕊の舞台の作風だったら、この外見は全くふさわしくはないが、この初日の舞台はいつもとは違い、規則も度外視、ただユニークさを狙っている。商細蕊は身をひるがえして舞台下に手を指しのべ、セリフを言う。公主

10日間私たちはいつも昼夜問わず思っていたよ。長生きするために1回の食事で3杯ご飯を食べるよ。長生きしたくて一度に六杯のスープを飲むよ。え?ご飯って何?スープって何?もう飲み食いはダメだ!私を見て!まるで服を着た肉まんみたいだ!」

この部分は《摔架》の中のセリフをもじったものだ。舞台下の観客たちは聞くとすぐに爆笑し、やんややんやの大喝采。誰かが立ち上がり舞台に向かって「いやいや、あんたは十分いい男だよ!」と叫ぶとまた別の笑いを引き起こした。二階席のお役人たちは階下でお下品な小芝居で笑いが起きているのを聞いても、要領を得ずにつられて笑うだけで、その芝居の奥にある面白味を理解することはできなかった。ただたたき上げの曹司令官だけは商細蕊を指さして椅子の手すりを叩いて大笑いで「この小蕊儿は、頭の回転がきくな!」と叫んだ。

遠く壁にもたれて立っていた杜七は煙草をくわえながら笑ってむせかえった。彼は芝居の言葉の汎用が広く、蓮花落までも知っていて、何より心底商細蕊が本格的な京劇役者であるということに感服している。

 観客とのやり取りを終え、代公主が芝居に戻り、大手を振って金殿に上がり、王宝に向かって「达、江海、どこからこのような目つきの女性が来たのですか?」达、江海は答える「大王が山関で言っていた、王宝、王さん、彼女ですよ!」代公主がいう「ああ、大王が三関で話に出た王宝、彼女なのね?」「そうです!」

公主は王宝をこっそりと覗き見て、パンと手を打ち、舞台下に向かって笑いかけた。「あらあら!この王娘娘は柳の葉ような眉にアーモンドのようなつぶらな瞳、サクランボのような可愛いお口をしてらっしゃる。なんだか俞青老板に似てるような?」

この一言はまさにアドリブ、 俞青の顔を果物籠のように描いたのだ。达と江海は唖然としたがしばらくしてからやっと了解した。商老板は得意気に顎を持ち上げ、二階席に向かってかすかにほほ笑んだ。今回はこの即興が観客の心と一致し、あらゆる角度から笑いの波がわき起こり、俞青が次にどうつなげるのかをただ待っていた。

程凤台は笑う「彼はなんてことを思いついたんだ!からかいすぎだよ!俞老板は何の準備もないじゃないか、舞台を降りたら彼を殴らせないでくれよ!」范涟も笑って「他の劇団は年末の締めが賑やかだった。蕊哥儿のオープニングだけが賑やかで漫才みたいなんだ。これは売れるにも理由があるだろう!ほら見て、いつもは芝居なんて見に来ない坊ちゃんお嬢ちゃんまできてる」といった。商細蕊の恣意的で器用な性格は四角いステージで抑えきることができないし、しかも芝居は最も規則的なものは踏まえている。だから商細蕊が昔の芝居を改編したりアレンジし新しくし、そのせいで汚名を背負っても勇敢に前に進むことは、一種の反逆者の性格である。新春の初芝居のこの一日の形式は舞台の上でどんな演出をし、どんなに騒いだとしても誰も彼を責めることはないし、むしろハオ!と称賛を浴びる。子供の頃から修練し、芝居を学ぶことは大変で一つも趣味も持たないのだ、年頭のこの一日だけ好きに歌うことができるのを楽しみにしている。

舞台上では、代公主と王宝が挨拶をしていた。 青は笑いをこらえて商細蕊に応えるべく前に出た。彼女はつま先から頭まで彼を見、そして同じことを繰り返した。「あら!よく見たら賢妹ったら背が高くて細腰ね。眉星目,貌潘安(眉は凛々しく目はきらりと輝いて潘安より素敵)。なんで私たちの商細蕊、商老板に良く似ているのかしら?」

これには舞台下の観客がまた大爆笑した。 俞青は滴る雫を見事に受け取って見せた。「眉星目,貌潘安」という言葉は男性の形容に使われる言葉で、これを女性に扮した男役者に使ったので明らかにおかしい。しかし商老板はさすが商老板、普段は少々鈍いおつむも、舞台の上では機転が炸裂、彼に利用できないものはない。商細蕊は恥ずかしがるように絹のハンカチで顔を半分隠しながら「姉さんからかわないでくださいな。商細蕊は容姿端麗、世界一の美男子として有名なんですから!私なんて彼にかなうわけがないでしょう!」というと、会場は皆笑い転げた。

范涟はテーブルを叩いて大笑い「いやあ、彼はフォローがうますぎる!舞台上ではほんとに機転が利くなあ」程凤台も笑って「これは機転が利くというの?厚かましくないか?」口ではそうはいっても心の中では彼を称賛していた。

ここまでの芝居で、初日の効果はすでに達成されていた。商細蕊は俞青と手を組んで梨園にファンの間で何年か語り継がれるような面白味を与えた。そしていったん檻から解放された商細蕊は、観客をもっとあっと言わせないと手ぬるいと感じる。続いて水云楼の6人の色とりどりの角の面を付けた子供の役者たちが現われた。その面はとても大きいものなので、彼らの小さな体は気にならなかった。程凤台は一目見て笑ってしまった。まるで商細蕊は万物を変化させる大きな妖精のようで、この小さな妖精たちにも芸をさせることができる。観客たちも今日はこの妖精の巣穴にすっかり落ちてしまった様子で、魂を持っていかれて逃げられなくなってしまいそうだ。

ここで司会がステージに立ち深々とお辞儀をし、この劇の趣旨を語った。子役たちは舞台に出ているだけ、役者は幕の後ろでセリフを言うので、皆さんには誰の声かを当てていただきたいと。

まず最初に紫の面をつけた子供が一歩前に出、豫の《花木蘭》の一節を歌う。観客はこれは十九だといったり沅じゃないか? いや青だ、と推測したが実は商細蕊だった。程凤台は商細蕊をよく知る范涟を見たが彼も首をふり「僕も彼のこの作品は聞いたことがないや。彼はこういうかくし芸をため込むのが大好きで、急に出してきてびっくりさせるんだよ」「早く言ってよ、面白いじゃないか!」

次に白い面と黄色い面をつけた子役が紹興劇の《梁祝》の中の一節を歌った。歌声は柔らかく粒がそろい、これは俞青と十九のコンビが担当した。 俞青は昆曲が専門であり昆曲と紹興劇の歌い方は少し似ているところがある。続けて花鼓劇《刘海砍樵》が披露される。この茶目っ気ある語り調子は間違いなく商細蕊だろうとみんな推測した。商細蕊は幕の後ろで答えた「おお!さすが通な皆さん、私の声で間違いないです!」花鼓劇と豫劇は同じで地声を使う。多くの観客はここで初めて商細蕊の地声での歌を聞き、それは意外にも親しみやすい少年の声で、もうこれだけでチケットを買った価値があるというものだ。しかし胡大姐は誰だろう?誰もが当てられなかった。しばらくああでもないこうでもないと論じ、二階席の役人たちもたまらなくなってお互い囁き合った。程凤台は笑いをこらえた。答えは明らかに知っている、しかし誰にも言いたくはなかった。これは彼ら二人の小さな秘密なのだから。

幕の後ろから商細蕊が恥ずかしそうに言った「胡大姐も私です、二人とも私が演じました!」彼は男女の声色を息もつかずに瞬時に切り替えるので、みんながわからないのも無理はない。程凤台は彼がこの芝居のシーンについて語ったのを見たことがある。《刘海砍樵》がどうした、《武家坡》こそ最高だ!商細蕊は自ら男になったり女になったり、そして自分をからかったりまた自分を叱りつけたり、高音低音、喜んだり悲しんだり、全く普通じゃない騒ぎだった。程凤台は当時こういったのだ「君は役を兼務できる以上、水运楼メンバーは何をする必要があるの?一人でまかなえるんじゃないの?」商細蕊は真面目にしばらく思いを巡らして言った「ダメだ。いつもこういう風に歌ったら頭がおかしくなっちゃうよ」程凤台は思った、何を恐れることがあろうか、もともとおかしいんだからそんなに大差ないさ。

最後の青いお面の子の番になり、一歩前に出て両手を腰に当てると楽器がすべて鳴りやみ、急に沈黙が訪れた。観客は全くどこで歌われているのかわからず、ただ地を這うような怒鳴り声を聞くだけだった。

「東門を出て西に走る。途中犬を噛んでいる人に会った。犬の頭をレンガにぶつけたら逆にレンガに手を噛まれたよ。彼の大舅二舅はみんなおじさん、高いテーブル低い椅子はみんな木さ。荷車は進み、車輪は回り、雄鶏は卵を産まない。長虫は足がなくても走れるし、マンホールや井戸は押し倒せない!」明らかに声が大きく気韻が長い秦腔の特徴で、最後に近いセリフは力が入り声も擦れ、音が割れた。曹司令官は故郷(陕西省)の節を聞いて嬉しくて上気し息を切らし、同じく秦腔の雰囲気でハオ!と叫んだ。程凤台は鼓膜がブルブルするのを覚えた。連なる山々の中、山頂で歌えば、きっと向こう側の山頂の娘たちがその音源を探しにやってくるだろう。今夜おそらくこの唱は岭までも聞こえたかもしれない。こんなことができるのは商細蕊を除いて誰もいないだろうと思った。しかし商細蕊の野性味と粗暴さは程凤台だけが見ているものだ。観客たちは彼は繊細で上品な女形役者であり、たまに少年の天性を抑えきれない声で小生を歌うが同じく繊細で上品には変わりない。友達たちの前でも商老板は穏やかで優雅である。商細蕊という人間は荒っぽい秦腔系とは結び付かず、大体水运楼の武生老生の役者であろうと推測する。

范涟は程凤台の自信ありげな表情を見て失笑した「わかった!彼じゃないね!」程凤台は振り返って眉をあげ「え?」「秦腔に慣れていない人は、地声がそんなに高くないし、ましてや喉を壊すこともある。彼は女形をだからもっと喉を休めるべきだしね。」程凤台は言う「何が少し休めるべきだって?いつも俺といる時ははちゃめちゃに喉を使っているし、かれは全くリラックスということを知らないよ」

観客はどう考えても誰なのかがわからず。声をそろえて出て来て顔を見せてという。とうとう商細蕊が幕の後ろから出てきた。彼はまだ代公主のまま化粧も落としておらず女装では挨拶しにくいので舞台下の観客に向けハンカチを肩にかけ満州スタイルで挨拶をした。「みなさま失礼致しました。さっき歌ったのも私よ」

 誰もが一杯食わされブーイングが起ったが、沢山のおひねりが舞台に投げられた。いくつかの中身は銀貨だったのかわからないが、商細蕊の足に当たり痛みを覚え、子供たちは急いで楽屋へ引っ込んだ。

程凤台は得意気に范涟を見た。范涟は恥ずかしさで怒ったようになり「彼は全く休まないな!」といった。曹司令官は故郷の訛りを聞いてすっかり気分がよくなり、副官に商細蕊に後でここにきてお茶に付き合うように、と命じた。程凤台はそれを聞いて笑いをやめ不快そうな表情をした。范涟はここはひとつ辛抱するようにとウインクしたが彼はそれすらも全く目に入らなかった。

*緑の部分はWEB版のみ

119.pngしろうとの趣味の簡略版の翻訳です。誤訳ご了承のほどを。時々訂正します。無断転載禁止

*開箱、とは演芸用語で春節を過ぎての初めての公演の事を指すようで、封印された道具を再び開けて使うところから名付けられたらしいです。年末と年初の演出は一年で最も重視される公演になるのでキャストも演出も力が入るとのこと。他に楽しみがないという商老板もこの日ばかりははっちゃけてOKな日。演出もこっていて観客もにぎやかで楽しそう。2階席の堅物のお客にもウケる配慮をするなんて余裕がないとできませんね。俞青もとばっちりをうけたのに余裕で返すところはさすがです。

*杜七も知る「蓮花落」とは演芸の一種で乞食芸とも呼ばれ、竹の板で作ったカスタネットのようなものでリズムをとりながら歌うもの。

*「大登殿」

苦労を重ねたのち天下を取った男が堂々と宮殿に乗り込む、という威勢の良い芝居。「武家坡」の続編。中国で苦労した薛平貴は、西域(敦煌付近)の王女・代公主と結婚して国王となりついには中国の皇帝の座についた。実は薛平貴には夫と別れ中国に残り18年もの間苦労を重ねていた王宝釧という妻がいた。普通だったら大三角関係勃発になる場面(!)ですが、ここはお互いを認め合い一人の男を支え合う、まさに「两全其美,苦尽甘来」なお話です。

 商細蕊演じる代公主、とは空想上の人物。若く美しく勇敢で頭がよく、衣装も民族衣装風できらびやか。開箱にふさわしいいでたちの商老板、見てみたかった!このブログでの27話では「武家坡」で侯玉魁が薛平貴、商老板が王宝釧を演じていました。ドラマ43話では商老板が普通の衣装で舞台に立ち公主を演じていましたね。この時の王宝釧は突然呼ばれた周香蕓でした。


# by wenniao | 2023-03-19 12:14 | 「君、花海棠の紅にあらず」原作を日本語訳 | Comments(0)

「君、花海棠の紅にあらず」(「鬓边不是海棠红」)原作日本語訳 50

 50 新聞

 元宵が終わったら、水运楼の新年初舞台が華々しく始まる。お正月の十数日の間に商細蕊は新聞を買おうとは思わなかった。その初日に、清風劇院の顧経理(顧マネージャー)が商細蕊を持ち上げようと、この半年に彼の《潜龙记》を褒めたたえた新聞を次々と買ってきて、自ら一字一句を彼に読んで聞かせた。商細蕊は他の人気役者とは違い、傍に2人ほどの手伝いしかいない。彼は称賛されお世辞を言われる感覚を味わっていたが、劇場を離れても身近に人を置くことはしない。小来が同行していれば十分ことが足りる。真に生活密着型の友人についてはまだ決めかねていた。いつも商細蕊は劇場に来て歌って演出して、歌い終わるとすぐに仕事終了、急いで家に帰り夕食を食べてたっぷり眠る。この規則正しい時間を邪魔する者は容赦しない。顧経理は彼に媚びるチャンスはめったにない。今日は新年の初仕事ということで、商細蕊は班主として、みんなを率いて先祖に祈りを捧げ、自ら頭飾りのしまってある箱を開け、新しく購入した面などの道具を数え上げなければならないので朝早くに起きる必要があり、顧経理もやっと彼を捕まえられたのだ。

顧経理は大きなラッパを吹くように、わあわあと批評文を読んで聞かせ、一つ終わると水运楼のメンバーがいちいち頷き称賛し、そしてまたおべっかを加える。商細蕊は手に急須を持ち、沅の椅子にもたれかかって笑いながらそれを聞き、自分の虚栄心を隠すことなく、いちいち聞いては急須ごと口にお茶を流し込んでいる。このありさまはまさに武生役の荒くれそのもので、女形ではこんな粗暴はしない。

新聞によると、芝居は実に今最高のエンターテイメントで賞賛に値するものだと書かれていた。文学者から車引きまで、商細蕊の票友の層は多岐にわたっていた。京劇を歌う時はよく天橋の劇場へ行った。貧乏の苦労人でも数毛で一枚のチケットを買えば一晩余韻に浸れるように。

ある時など商細蕊が人力車に乗っていると、上り坂で車夫が、自らを励まそうと商細蕊の武生の芝居を口にした。商細蕊は耳をそばだて自分の商派の歌い方を味わい、口元をほころばせ、降りるときに特別に称賛して五毛をあげた。今回の《潜龙记》は昆曲のため、市井の庶民にはわかりにくいが、特に文化人には好まれ、新聞をにぎわせた。芝居が全くできない文化人でも筋の通ったことを書きつらねていて、唱でも芝居でもなく、その人物や物語についての分析を聞くだけでも大変勉強になり、学ぶことが多かった。一般労働者は彼に一言ハオと声をかけるだけだからである。デビューしたての頃、商細蕊はこのような熱烈な賑わいが好きだったが長く歌っているとこのような詳細なレビューを好むようになった。

ここ何年か京劇がこのように大変人気になっても、彼は昆曲を手放すことはできなかった。北平に来て以来、梨園におさまり、水运楼の経営状況が落ち着いてきて、やっとチケットの売り上げを気にせず心から作りたい芝居ができたのだ。この心の充足感は他の役者には理解されないものだった。

顧経理が親指を立てた「おや!どれも今は京劇が昆曲をおさえこんでいるとあるぞ、この顧は違うといいたいね!京劇だって昆曲だって、どれも誰が歌うのかって事だろう?商老板、言わせてもらうけど、年末の《潜龙记》の三回公演のチケットの争奪戦はすごかった。今の状況だと、商老板が出ない芝居なんて、何毛出したって誰も見にいかないだろう。商老板がいれば、何十块钱であろうと売れるのさ!」

商細蕊は「チケット代はあまり高くしないで。腹黒い事はしないでくださいね」と言って顔をしかめた。顧経理はうなずき「商老板、今日来てる方々はどんな人か知ってますか?軍人、政界、ビジネス界の大物ばかり!金部長の息子だとか、どこどこの次長だとか。あなたがここに来る前に、兵士の一団が爆弾を仕掛けられるとまずいと言って劇場内を点検してましたよ。今も見張りに立っている」商細蕊はいう「来るときに見たような気がする」顧経理は周りを見渡し、手で口元を隠して商細蕊の耳元で囁いた「北の方から人が来ているらしい」商細蕊はわからなかった「北から誰が来てるって?皇帝が戻ってきたの?」

これは1936年初頭で、国家はいわゆる四面楚歌の情勢ではあるが、北平や南京のような都市ではまだ平安を保っていた。商細蕊のような俳優は政治情勢に疎く、外には襲いかかる強力な匪賊がいることについて知る由もなかった。顧経理は彼がわかってないのを見て説明するのももどかしく、笑ってごまかそうとした。商細蕊はしつこく聞いてくる「いったい誰が来てるの?謎めいてるな。やっぱり皇帝なの?」

「来たよ!」商細蕊はその声を聞いて心が躍った。ふりかえると程台が新聞を抱えてドアを開けて入ってくるのが見えた。水运楼のメンバーは顧経理が彼を見て恐縮しているのを見て、程台にむかって歓迎の意を表した。程台はまるで家に帰ってきたように帽子をテーブルの上に置き、コートを脱ぐと「いつも俺が来ると君たちは賑やかで嬉しそうだよね、なんかいいことがあるのかな?」と言った。沅は笑って「平陽にはこんな古い言葉があったわ『楽しみたいなら劇団に』。劇団は最も活気があって楽しい所なの。そうじゃなかったら、観客に楽しんでなんてもらえないでしょう?」程台も笑って「そうとも限らない。《葛亮吊孝》を演じたとすると、君らもそんな楽しくはいられないでしょ?」と言った。沅は商細蕊の背中をポンとたたき「ねえ、だから我ら班主は芝居があってもなくてじっと見てるんじゃないのかしら?誰か泣く芝居の前に楽しくいたら怒られるのよ、こっぴどく!そんな風に見えないでしょう?私らだけじゃなくて、照明のあたりがよくなかったり、舞台の掃除が行き届いてなかったりすれば顧経理だって逃れられないわ」と言い、顧経理もそれに苦笑いし「そうだその通り」と言った。

程凤台は商細蕊を見ている「うん、確かにそう見えない。俺が最初に会った頃、君らの班主は柔な物腰で汇贤楼で楊貴妃を歌い、化粧を落としても穏やかで上品で物静かで、全くしばらく騙されていたよ!実はこんなに筋骨隆々で血気盛んだなんて誰がわかるもんか!」商細蕊はフンと鼻を鳴らし、周りの劇団員はみんな笑いだした。顧経理がそろそろ場を離れようとしたとき程凤台は彼を呼び留め、について尋ねた。この時節顧経理に包を頼むのは、この老人の命をもらうよりも困難だ。彼が命懸けて交渉しても用意できない。悲し気に程凤台に向かい「程二爷も商人だ、商人は信用を大事にしている。一度外に渡った包を今更撤回できるわけないでしょう?困らせないでくださいよ。あなたに一番前の席をご用意しますよ。商老板の衣装の皴まで見えることを保証しますよ!包からはそんなはっきり見えないでしょう」といった。程台は不満そうに「そんなんで騙されるもんか!初めて芝居を見るとでも思ってるの?なら俺は舞台裏で商老板を見てもいいかね?もっとはっきり見えるさ!商老板のお尻まで見えるよ!」一同爆笑し、顧経理はうなずいて「そうしたいならそれでもいいですよ!」といい、程凤台は彼をにらみつけた。顧経理はしぶしぶ「それではご提案があります。今日は曹司令官もいらっしゃいます。二爷、司令官と一緒でもいいでしょうか?」程凤台はため息をつき「なんだかんだいってもこれしかないか。俺は范二爷とも約束しているんだよ!」「それは心配ないですよ、広い場所ですから一卓増やしても。皆さん親戚じゃないですか?お好みなら一番いい大袍(銘茶)をご用意しますよ!これなら肩身は狭くないでしょう?」

院は西洋人が建てた西洋建築ではあるが、北平一の演劇の舞台である。しかし中国での商売のやり方はどうしても中国演劇の気質を受けているため中国スタイルだ。二階の各包には黒塗りの四角いテーブルが置いてあり、お茶や菓子のサービスもありウェイターが待機している。劇院の経理ですら演劇の伝統的スタイルで、役者や権力者を前にしてこびへつらう。

程凤台は煙草を一本取りだし、顧経理はライターを取り出し火をつけた。程凤台は「今回はこれでいい。今年の包はいつもの場所を三年連続契約する!その内わからないうちに期限切れになるかもしれない。范二爷の分も残しておいてくれ」

顧経理は急いで返事をして去って行った。商細蕊が笑いながら「二爷は私が三年歌っていられるとどうしてわかるんです?」と聞くと程凤台は「商老板がどこで歌おうと俺は追いかけて聞きに行くさ。君の芝居を三年は見続けるつもりだよ」と笑って返した。

女役者たちがすぐに彼らをからかった。程凤台は新聞を開いて読み彼女らを相手にしなかった。商細蕊は甘いものを食べた時のように嬉しく得意気だがかすかに照れて、ついでに聞いた「この新聞はなに?僕のこと書いてあるの?」「恥ずかしくないの?いつも新聞に書いてあるとは限らないだろ」程凤台は笑って言った。商細蕊はそれもそうだなと思い、がっかりして顔を洗いお菓子を食べに行き、化粧をする準備をした。すると程凤台が声をはりあげて叫んだ「おい!本当にあったよ!」商細蕊はすぐに惹きつけられた。「なんて、なんて書いてあるの!?」程凤台は素早く記事の内容を一読し、喉を落ち着かせると、何気に新聞のページを閉じて言った「言わせるか?くだらない話さ。商老板が旦(女役)を歌う時はまちがいなくアレがない。生を歌う時は2本ある

十九他2人の役者がまさに化粧をしようとしていたが、可笑しくて手が震え、塗りに失敗してしまった。程凤台を恨む一方、ついつい笑いが抑えきれない。

商細蕊は彼の目の前に立ち、熱いタオルで顔を拭いて言った「具体的にどう書いてあるのか、僕にちゃんと聞かせてよ」「こういってるだけさ、読むべきもんじゃない」「ある、きっとある!」「商老板、顔を拭いてちゃんと油を塗っておいで、顔がしわしわだよ」

こんなことでは商細蕊の注意をそらすことはできない。彼はタオルを小来に渡し、程凤台に詰め寄った。「油は塗らない、早く話して!僕は聞きたいよ!」「何をだよ?もう言っただろ?2本もあるって褒めてるよ!」「どうやって褒めてるの?一字一句ちゃんと伝えてよ、早く早く!」「じゃあ、芝居が終わったら読んであげるよ」「ダメだ!今聞きたいんだ!ああもう僕を怒らせるつもり?早く早く!」「芝居の後に読んじゃダメなの?新聞がさめるわけじゃあるまいし」

商細蕊はいらいらし、ちょっとでも待っていられない。穏やかな状態からあっという間に激昂して吠えた「読んでと言ったら読んで!何度でも繰り返すよ、あなたは字が読めないんですか?」程凤台はあきれて、顔にはあきらめの表情が浮かび商細蕊を見上げた。

多くの場合、特に程凤台と一緒にいると、商細蕊は自分の行動を保持することのできない頑固なロバのようになる。心の中の態度が急に表面化し、みんなそれを見て大いに驚く。一つに商細蕊が程凤台に対してこんな風に怒ったりすると思わなかったし、二つ目には程凤台は商細蕊に対してこんなに忍耐強く穏やかでいられるとは思っていなかったからだ。彼ら二人はすでに近い存在でただ遊んだりお酒を飲んだりという友達の域を完全に越えている。かつて范涟も平陽にいた二年間は、程凤台よりも頻繁に水运楼に通い、商細蕊にも熱心だった。商細蕊は終始彼には丁寧に接し時々冗談を言い、全くこのようなことはなかった。彼が今の地位にたどりついてから、まさかこんな立場をわきまえずに調子に乗るようになったのだろうか。姐数人はまだ信じられずにいる。程凤台は彼は芝居に浸っていると公然と言うが、彼女らは信じてない。今見たところ、真の姿だからだ。彼らはいわゆる肉体関係ではないにしろ、とても深い一種の関係…彼女らは蒋梦萍をすぐに思い出してお互いに意味ありげな表情を浮かべた。

は先に笑って「蕊哥儿のこのじっとしていられない癖はちっとも治ってないわ。ちょっとからかうとすぐにこう、二爷はあなたをからかってるのよ!」というと程凤台に目配せをして、一歩引いてもらうようにした。商細蕊は待ちきれず「ああ腹が立った、もう自分で読む!」というと、程凤台の手から新聞を奪い取りぱらぱらとページをめくりその見出しを見つけた_「潜龙记は禁演、商老板見るべし」

商細蕊の顔色が激変し、程凤台の傍で座りながら眉をしかめてじっと見ていた。これは今日の新聞だ、顧経理は多分このニュースを知らないだろう。潜龙记は年前から今に至るまで一か月に満たないが、評判があっという間に広がり、知らないあいだに恨みを買ってしまったようだ。

この時 俞青と杜七が裏口から入ってきた。 俞青は頭にかぶっていたピンク色のスカーフをほどくと笑いかけ「遅くなったわ!裏口がどこかわからなくてちょうど杜七とでくわしたの」といった。杜七はめったに親しげに笑わない「皆さんに新年のご挨拶に来た」彼らの挨拶はあまり反応をうけず、みんなは商細蕊が新聞をじっと真剣に見つめているその表情にくぎ付けだった。彼は何とか苦労して新聞を読み終え、顔をあげてもまだ目は宙を見つめていた。程凤台は彼の後ろの襟首をもみながらゆっくりと話しかけた「芝居が終わったら読んであげるつもりだった。今は読むべきじゃなかったから。さっき沅兰师姐も言ってたろう、役者が先に楽しい気分でいるから見てる人も楽しめるんだって。君は今そんなしけた顔をして、年明け最初の舞台をどうやって演じるっていうの?」程凤台は物事を後回しにできる人間だが商細蕊はそうではない。自分が衝撃を受けたので、何人かを巻き添えにして敵対心を燃やさないと気が済まない。青が笑いかけた「商老板どうしたの?何そんなに茫然としてるの?」商細蕊は新聞を青の目の前に差し出して言った「これ! 老板見てよ!」

俞青は教育を受け、自分の感情をコントロールすることができる人間だ。新聞を受け取るとざっと目を通し、顔色を変えずに杜七に微笑み「長い間革命活動をして帝政を打倒したにもかかわらず、今も目上の人に対して避けることがあるのね」

杜七も教育を受けた人間だったが感情をコントロールできないのはむしろ商細蕊並みで新聞を読み終わるとぐしゃっと丸めて壁の下に叩きつけ大声で怒鳴った「くそったれが!言いがかりをつける気か?」

劇団員はこのニュースに興味を持っている。 俞青はみんなが舞台に上がる時の動揺を考えると詳しく内容をさらけ出せず、振り返って商老板と杜七に小声で「芝居が終わったら夜に相談しましょう」といった。杜七は両手をポケットに突っ込み怒りが収まらない様子で「脚本は俺が書いたんだ。何か文句があるなら俺が表に出てやる。君らはただ歌っていればいい!」青は彼をなだめた「こんなちっぽけなニュース、本当とは限らないわ。商老板は文化人や官界の名だたる方とも交流があるのだもの、もし本当に何か動きがあればまず彼にしらせがくるんじゃないかしら?」杜七と商老板はなるほどそれも道理があると思った。杜七は怒るのをやめた。商細蕊は目玉をくるりと回して、小来に頼み顧経理に今日大物がお客が来るかどうか聞きに行ってもらい、程凤台の傍に首を垂れもたれかかり悶々と呆けた。彼は先ほどみんなの前で程凤台のメンツをつぶし、程凤台は今も彼の相手をするのが億劫で、他の新聞を開いて読んでいると商細蕊の頭が彼の肩からずるずると滑り落ちていくのがわかり、あわてて新聞を手放し商細蕊の大事な頭を抱えた。

「商老板、どこか悪いの?目を開けたまま居眠りしてたのか?」商細蕊は自分の頭をだるそうに持ち上げ首をかしげて元気がなさそうに「疲れた」と一言言った。「舞台に上がってないのにもう疲れちゃったの?」「芝居は疲れないよ。対策を考えて疲れた」「え?君何か対策を考えたの?芝居を禁じた誰かを剣で刺し殺すとか?」商細蕊は嫌そうに彼をチラ見して、彼の隣で座りながら上半身を背伸びして言った「浅はかな!あなたはなんて浅はかなんだ!」

もう支度をしないと本当に間に合わない。商細蕊は立ち上がるとてきぱきと衣装を着替え化粧をほどこし、程凤台は引き続き新聞を読みお茶を飲みタバコを吸い、女優たちと世話話をする。彼はいつも商細蕊が舞台に立つ寸前にこの場を離れる。


*緑の部分はWEB版のみ

119.pngしろうとの趣味の簡略版の翻訳です。誤訳ご了承のほどを。時々訂正します。無断転載禁止


*波乱の(?)新年の仕事始め。楽屋の様子、賑やかでいいですね!二爷三年の追っかけ宣言、公になりました。とっさのごまかしとはいえ二爷さすがジョークが冴えてます(笑)

*《葛亮吊孝》三国志演義のあの有名な「赤壁の戦い」で呉の名将軍だった周瑜が若くして病死。蜀の諸葛亮は趙雲を伴って弔問にいくが、周瑜の部下に命を狙われていた。しかし諸葛亮の涙交じりの弔事に感動し殺害をあきらめる、というお話。

実は一般的に「葛亮吊孝」というと「見せかけだけで真心がない」という意味になります。つまり、この諸葛亮の涙は嘘か真か・・・


# by wenniao | 2023-02-21 17:38 | 「君、花海棠の紅にあらず」原作を日本語訳 | Comments(0)

「君、花海棠の紅にあらず」(「鬓边不是海棠红」)原作日本語訳 49-2

49-2 (程台懲りずに昔話を蒸し返す編)

この様な純潔で高尚なベッドでの交流を経て、二人はいつもの行為よりもずっと親密になると感じた。程凤台が外にあるズボンを拾おうとする事さえも商細蕊は離れがたく、彼の片方の腕を自分の足の間にしっかりと挟みこんだ。程凤台は彼の下半身を触りながら笑って言った「なんで君はいつも股間でものをつかむんだい?ちょっと打ち明け話をしただけなのに君はムラムラッとくるなんて、商大老板は風流人との経験があるのに、無見識だなあ」彼のお尻と叩きながら腕を抜き出し、寒い外へズボンを拾いに行った。割った窓の穴はいつの間にか小来によって厚紙でふさがれていた。商細蕊が凍り付いて眠るのを恐れての事だろう、なんて細やかな気遣い。しかしながら程凤台のズボンはとくに何もされておらず、少し湿ったまま、廊下に置きっぱなしだった。小来は気づいてはいても彼の代わりにズボンを乾かすことはしないのだ。部屋に戻り、暖炉に炭を追加してズボンを乾かしながら言った「商老板、起きて早く服を着て」商細蕊はまだ心がざわついて、ベットの上をゴロゴロと転がっていた。

程凤台は「小周子が来て小来ちゃんの部屋にいるみたいだよ」といった。商細蕊はいう。「お年玉をもらいに来たに違いない!小来にあげてもらおう、僕はお金がない、お年玉はないよ」商細蕊は突然起き上がって程凤台の背中に飛びついた「そうだ二爷、僕のお年玉は?」

この二年、遊び心から、お正月には彼の枕の下にお年玉を入れておいたのだ。二年が過ぎそれは恒例となって、まだ彼は覚えていた。「お、君は人にあげたくないのに、人には要求するわけ?君が鶏泥棒になるとはねえ。」程凤台は笑いながら皮財布から二枚紙幣を取り出し「はいどうぞ、お坊ちゃま」商細蕊はそれを一瞥しまだ満足できなかった「お年玉の赤い袋に入ってないのはいらないよ。あなたは私を食事の支払いみたいに扱うね!」そういうと急いで服を着て程凤台を引っ張り「二爷、一緒に小周子に会いに行こう!」程凤台は特に小周子に関心を示さず、彼を軽く振り切り「商老板一人でおいきよ、ズボンがまだ乾かないんだよ」

 商老板はお茶を飲みに行き、程凤台はズボンを乾かして身なりを整え、煙草をくゆらせ外に出て背伸びをしていると、小周子が涙を拭き拭き、商細蕊と小来に見送られている場面を目にした。半月ほど見ていないだけなのに商細蕊の家で養われた肉はすべて元に戻り、冬着を着ているのに痩せこけて、骨と皮だけのようだった。小周子は程凤台のことは全く眼中になく、門に着くと急に振り返ってひざまずき、雪の中商細蕊に向かって頭を地面擦り付け声を絞り出すように言った「今日帰ったら二度と商老板に会えないようで怖いのです。あなたの僕に対する多大なご恩、この周香芸、来世で必ず恩に報います!」

この言葉は昨年の楚華の別れ際の言葉を彷彿とさせる。楚華は昔から己を哀れみ、天を憎み命を憎み、林黛玉のように感傷的にこのような決別の言葉を口にするのは彼の悲しみからだけで、必ずしも事実に合っていないし、誰も本気にしなかった。周香芸はそのような人間ではない。商細蕊も小来も顔が強張っている。小来は彼の手にお金を握らせ、商細蕊はただ「僕は必ず何とかするからもうしばらく辛抱して」と話をするだけだ。周香芸を見送ると程凤台は前に出て聞いた。「また彼の父にやられたのか?」「二爷なんでわかるの?」「すぐにわかるさ!四喜儿って奴はどんなやつかわかるだろう?小周子が君のところで頭角を現して、沢山の聴衆が彼を賞賛してるって言うんだから、四喜儿はさらに面白くないだろう」そういって商細蕊を見て笑って「《昭君出塞》のアイデアは君が出して、芝居は水运楼が演じた。商老板は美人が匈奴に蹂躙されてもいいっていうの?」この例えに商細蕊と小来は笑い出した。周香芸の王昭君は頂点に立って、34回芝居が上演され、北平の人たちは王昭君といえば周香芸が頭に浮かぶほどだ。商細蕊はこの役では、彼をどれだけ越えられるかわからない。小来はその笑いを隠すために、早足で部屋に戻った。

商細蕊は悠然と手を背中に回して立ち、天を仰いで言った「朕は薄情ではない。かならずや苦しい境遇から妃をお助けいたしますぞ!」程凤台は手のひらで彼のお尻を叩き「君たち役者の間では何と言うんだけ?『要想学得会,先跟父睡』(仕事を覚えるためには、昼夜を問わず親方のそばで、その仕事のあらゆる面を学ばなければならない)!小周子は将来美人になるに違いない。商老板は自分のものにしたくて、人には渡さないだろう?」商細蕊は嫌そうに彼を見て「なんて下品な。あなたは私をそんな風に思ってるの?」程凤台は振り向いて彼の腰を抱き「いいさ、俺は下品なんだ。商老板、服を着て肉を食べに行こう!」肉を食べる、という行為は商老板が最も好きな事だ。「ステーキを食べに行こう!」「よし、ステーキね」

彼らが出かけようとしたところ、門が自ら開いた。范涟が油でテカテカの頭を門の隙間から出して中をのぞいていたのだ。「蕊哥儿!あけましておめでとう!」もう一度見直して「おや!姐夫もいたのか!あなた様もわれら蕊哥儿に新年のあいさつに来たの?」程凤台はわかっているのにしらばっくれていることに嫌気がさして眉をひそめた。「君はなんで来たの?一昨日常之新が出張に行く時見送りにも来ないで、どこかの女と寝坊していたんだろ?」「でたらめ言うな、商談だよ」「春節の年越しのさなかに誰と商談するっていうの?外国人だけだろ。君は英国女王のナイトガウンをしつらえるのか、それともアメリカ大統領にティーカップでも売る気か?」

范涟は平陽時代は水运楼にねんごろに行き来していたが、北平に来てからは商宅では珍しい客となっていた。たまたまこの節目に挨拶に来たのだがあまり歓迎されていない様子だ。商細蕊も手を後ろに回し高みの見物、無関心にあいさつした。程凤台にやじられ、商細蕊にも冷たくあしらわれ、恨みがましく言った「蕊哥儿、僕の姐夫は凶暴でしょうもないと思わない?」商細蕊は彼を見て真顔で言う「二爷の言うことは正しい!」范涟はがっかりし、程凤台は大笑いした。

「もういいよ、何もなければここには来ないだろう。商老板に何の用さ?早く言いなよ!」范涟は思う、あなたはこの役者のマネージャになったの?程凤台をにらみ、商老板の前でおべっかを使って笑って言った。「蕊哥儿、ちょっとご足労願って、劇場の包(プライベートの予約個室)を一つ用意してもらえないかな?」商細蕊が何かを言う前に程凤台はこれ災難とばかりに笑って「まさか范二!この前のお年玉ももう使い終わったってわけか?一つの個室もおさえられないなんて、まったく、なんて可哀そうに。よし、お父様と呼んでくれ!俺が買ってやるよ」范涟は彼の威張った態度に辟易し眉をひそめて言った「行って行って、あなたは一日中蕊哥儿の太ももばっかり抱いているのに何がわかるって言うんだ?来年の包は誰が押さえてるのか知ってるの?金持ちは官僚に及ばないって、わかる?僕のだけじゃなくってあなたのだってあるかどうかわからないよ!」程凤台は思わず商細蕊とお互い目を合わせ、よく状況がわからない様子である。范涟は二人の顔色を見て驚いて言った「おや、二人とも知らないの?」程凤台と商細蕊は二人とも戸惑いながら彼を見ていた。范涟は「そうか、あなたたち二人一緒にいすぎて、快楽生活で頭がおかしくなったんだね?蕊哥儿も知らないの?」商細蕊は首を横に振り「劇場にはマネージャーがいるし、水运楼には会計係と師兄がいる。僕は芝居のために歌ってリハーサルをするだけで、他の事は何もかまわないし」范涟は挑みかかるような声で言う「蕊哥儿の《潜龙记》はあんなに盛況で面白く、すごい人気だったじゃないか!南京あたりまで噂が広まったよ。今年南京から新しく赴任してきた官僚グループが北平を視察に来ることになって、ここに元々居た次長も加わって、みんな蕊哥儿の芝居を楽しみに見に来るそうだ。僕なんてちっぽけな商いにすぎない。彼らのご機嫌を損ねちゃだめだよ!」商細蕊は爪先立って、頭をゆらゆらと揺らし得意気な様子である。范涟は低めの声で商細蕊を見つめ「蕊哥儿、劇場に相談してなんとか融通してもらえない?」と聞いた。商細蕊はくるっと顔を向けて真面目に彼を見「ダメ!それは僕の仕事じゃない!」范涟は泣き言を言おうと思ったが間に合わず、商老板は部屋へ駆け戻ってしまった。「二爷と食事に行くんだ!、さようなら!」

は今度は程台に向かって泣き言を言った「姐夫、僕彼を怒らせたのかな?」程凤台もわからない「自分で考えてみたら?彼の食べ物を奪ったか、彼をやじったか?陰で悪口言ったとか?どのみち、食べ物、芝居、ゴシップ以外、彼は気にかけることはない」范涟は商細蕊に前回あってから今日までの事を仔細に思い出したが、彼を嘲笑したり気分を害すことなど心当たりがない。考えれば考えるほど悔しくて泣きそうになったので程凤台が慌てて彼を止めた「やめやめ!下の席で見たって同じじゃないの?個室をとる必要があるの?」范涟は言いにくそうにもごもごと「僕さ、知り合ったばかりの女性がいてさ」

程凤台は軽蔑の眼差しで彼を見、范涟は彼に向かってすがった。程凤台はしばし考えて「その日俺が何とかいい手立てを考えるよ。もしダメだったら彼女に悔しい思いをさせるだけだけど」范涟は嬉しくてたまらず「姐夫が手伝ってくれるならそりゃいいや!」

程凤台は得意気に眉をあげたところで商細蕊が着替えを済ませて部屋から出てきた。范涟がまだ立ち去っていないのを見て白目をむいた。程凤台は范涟の肩を抱いて「助けてやるんだ、お前も俺を助けてよ。今日出かけるのに車がないんだ、車のキーを貸してくれない?夜には返すからさ」「じゃあ僕はどうすんの?」「タクシーでも呼べよ。ぶらぶらと歩いて帰ったっていいさ」程凤台は当然のように答えた「君だって商老板を怒らせたくないだろう?」商細蕊はなんとか待ってはいるものの、すでにイライラしていて、ちょくちょく腕時計を見ては、食事が遅れるのが大罪のように、怒る寸前だった。范涟はしぶしぶ車のキーを渡し、彼らが立ち去るのを見送った。

*すべてWEB版。文字色は読みにくいため変えていません。

119.pngしろうとの趣味の簡略版の翻訳です。誤訳ご了承のほどを。時々訂正します。無断転載禁止


*ここでドラマには出てこない人物、商細蕊と同じ役者である「楚華」が急に名前だけ現われました。彼はこの後の劉委員長のお話で出てくるようなので覚えておきましょう!中国では有名な小説「紅楼夢」の登場人物、林黛玉に似ているとあります。林黛玉といえば、繊細でプライドが高く我儘。感傷的でちょっとしたことですぐ泣き、体も弱く孤高で器量の狭い女性の代表格。ただ彼女と違うのはちょっと気が強い所がある様子です。

*《昭君出塞》は中国の四大美女の一人といわれる王昭君が、漢と匈奴、両国の友好のために一人匈奴へ嫁ぐ話。小周子が四喜儿にいじめられていることを、彼女が嫁ぎ先でいじめられる想定になぞらえています。小来も思わず笑ちゃってますね(しかしぶれないアンチ二爷)


# by wenniao | 2023-02-04 09:45 | 「君、花海棠の紅にあらず」原作を日本語訳 | Comments(0)